Intro
初登頂150周年マッターホルンと負の遺産「切れたロープの謎」John Heilprin / Carlo Pisani
「マッターホルンでロープが切れていなければ、私は今ここにいないだろう」
「マッターホルンでロープが切れていなければ、私は今ここにいないだろう」
曽々祖父ペーター・タウクヴァルター・ジュニアが半世紀もの間考え抜いた末、ついに4478メートルのマッターホルン初登頂で起きた悲劇の体験記を書いたのは、この山小屋でのことだった。
その子孫でツェルマット生まれのマティアスさん(34)は、長年の謎である「切れたロープ」について新事実を発見しようと昨年1年間を費やし、公文書など手に入る資料を全て調べ、事故の状況についてより詳しく知ろうとした。
登山隊のメンバーは当初7人。初登頂を成し遂げて下山途中、7人をつないでいたロープが何らかの理由で切れてしまった。先頭の4人が滑落し、生き残ったのは後方にいたツェルマットの山岳ガイドのペーター・タウクヴァルター父子と、英国人登山家エドワード・ウィンパーの3人だけだった。果たして、ロープは先頭メンバーが足を滑らせた弾みで偶然切れてしまったのだろうか。それとも、転げ落ちた先頭メンバーの巻き添えになるのを防ぐために、タウクヴァルター・シニアがあえてロープを切断し、自身とその後ろにいたウィンパーと息子を助けようとしたのだろうか。他にもさまざまな説が飛び交い、真相は今まで解明されていない。
マティアスさんの曽々祖父タウクヴァルター・ジュニアは事故当時20代前半で、まだ子どもは生まれていなかった。「もしマッターホルンでロープが切れていなければ、私は今ここにいないだろう」(マティアスさん)
手紙 - もう1つの視点(1)First part
(Carlo Pisani, swissinfo.ch)
育ち
育ち
育ち
村では、タウクヴァルター父子を支援する人が多く、村人たちは彼らの言い分が不当に無視されてきたと考えてきた。しかし、この歴史的登頂をきっかけに育ち始めた観光業をつぶしてしまうことを恐れて、誰も声を上げようとはしなかった。
初登頂を祝う記念祭が過去に行われた際、子どもだったマティアスさんは記念のピンバッジを売っていた。その時、ドイツ語圏の公共放送(SRF)のラジオ・ジャーナリストにこの出来事について意見を聞かれ、何と答えていいかわからなかった。今なら言いたいことがたくさんある。「一般には、ウィンパーの語った話しか知られていない。それがマッターホルン初登頂の一種の『公式記録』のようになっている」
ウィンパーの著した『アルプス登攀記』は人々に親しまれており、英国のメディアに彼が語ったコメントなどが事実として世間に認識されている。だが、ウィンパーの証言やメディアの報道は、時が経つにつれてつじつまが合わなくなり、話が膨らんでいった。「私はやがて、先祖たちには自分たちの視点を(公に)語る機会が本当になかったのだろうかと考えるようになった」(マティアスさん)
足を滑らせて
足を滑らせて
足を滑らせて
最も登山経験の浅かったダグラス・ハドウが足を滑らせて落ち、チャールズ・ハドソン牧師とフランシス・ダグラス卿、そしてロープの先頭にいたガイドのミシェル・クロが巻き添えになって死んだという話は、長らく通説となっている。ダグラス卿の遺体は今日まで見つかっていない。SRFでは最近、犯罪捜査風にこの未解決の謎を探る番組が放送された。マニラ麻でできた細い登山ロープがダグラス卿とガイドのタウクヴァルター・シニアの間でどのように切れたのかはわかっていない。タウクヴァルター・シニアは、わずかな長さのロープを岩にくくりつけて何とか持ちこたえた。
しかし最近の実験によると、たとえロープがもっと太くても切れていただろうことがわかっている。ロープの最後部には後ろからタウクヴァルター・ジュニア、ウィンパー、そしてタウクヴァルター・シニアがいた。「ウィンパーの命が助かったのは2人のおかげだ」とマティアスさんは言う。
マティアスさんのいとこ、ヨーゼフ・タウクヴァルターさん(50)と息子のダヴィッドさん(23)もまた、当時の場面を別の方法で振り返ろうとしている。初登頂の時のガイド父子と大体同じ年頃の二人はこの夏、ツェルマットの野外劇場で上演される劇で、有名な先祖の役を演じる。
ウィンパーは事故の詳細について話をころころと変えたが、生き残った人の中で英語を話せるのは彼だけだった。タウクヴァルター父子がドイツ語で語った証言は、今日もその陰に隠れてしまっている。事故はタウクヴァルター父子の人生と名誉を打ち砕いた。
公式な調査では無実とされたにもかかわらず、歴史はタウクヴァルター父子に冷たかった。悪評で父親の人生はめちゃくちゃになり、ガイドとしての息子のキャリアも危うくなった。ウィンパーは、不幸の影を背負いつつも、都合の良い物語に助けられて「英雄」となった。
「下山の詳細をあえて述べようとは思わない。ただ、事故後2時間以上、これでもう終わりかと思う瞬間が続いた。2人のタウクヴァルターは完全に取り乱して子どものように泣きじゃくり、あまりに震えたため、私たちも危うく他の者たちと同じ運命をたどるところだった」と、ウィンパーは下山から2週間後、スイスの地質学者・登山家のエドムンド・フォン・フェレンベルクに手紙を書き、悲劇の責任は一切自分にないとした。
「たった一歩足を滑らせたこと、もしくは一歩誤ったところに足を運んだことが、この悲惨な状況全ての原因だった」(ウィンパー)。ウィンパーは当初、タウクヴァルター父子に責任はないとしていた。そして半世紀以上が経って、タウクヴァルター・ジュニアがようやく書いた事故の顛末には、この出来事ですっかり気が動転したのはウィンパーだったと記されている。
「私たちがどう感じたかは想像がつくだろう。しばらくは恐怖で動けなかった。ようやく前に進もうとしたが、ウィンパーは震えていて、一歩も踏み出すことができないほどだった。父が前を登り、始終振り向いてはウィンパーの足を岩棚に置いた。何度となく立ち止まり、休まなければならず、気分が悪かった」(タウクヴァルター・ジュニア)
マッターホルンロープは切られたのか?
(Carlo Pisani、swissinfo.ch)
ロープの発展
ロープの発展
スイスの登山用品メーカー「マムート」は初登頂140周年の際、切れたものと似たロープを作って強度を試した。ロープは300キログラムで切れた。これは成人男性4人分ほどの重さだ。実験からは、ロープが切れたのは事故であり、切られたのではないことがうかがい知れる。
切れたロープの一部は、ツェルマットにある「マッターホルン博物館」に展示されている。このロープは元々予備として使用される予定だった。登山に用いられた他のロープ2本の半分の太さしかなく、強度もはるかに弱かった。
麻からナイロンへ命綱
(Carlo Pisani, swissinfo.ch)
真実を求めて
真実を求めて
真実を求めて
かつてはバーチャル・リアリティーにはまり、キーボードを叩き続ける太った若者だった。しかし先祖のパイオニア精神と進取の気性に従い、極めて危険な場所に出かけ写真を撮影する勤勉な登山家へと、数年間の間で着実に変化を遂げていった。そのために少なくとも15キロ体重を落とした。
こうして変わることができたのも、いとこのジャンニ・マッツォーネさん(51)の支えがあったからだ。マッツォーネさんもタウクヴァルター父子の直系の子孫で、ツェルマット山岳ガイド協会の会長を務めたこともある。一族の伝統を受け継ぎ、これまでマッターホルンに300回ほど登山者を案内してきた。
マティアスさんはスイスと英国のさまざまな場所に足を運び、国際的なオンラインアーカイブの記録を調べていくうちに、曽々祖父が書いた手紙の原本が、少なくとも今まで一度も公開されたことがないことを突き止めた。これまで公開されたのは、英国山岳会所蔵の英訳のみだ。その英訳をドイツ語に訳したものはあるが、今日に至るまで、ドイツ語の原本を確認した者はいなかったようだ。
手紙 - もう1つの視点(2)Part 2
(Carlo Pisani, swissinfo.ch)
頂上に到着してもまだ道半ばマッターホルン登頂を目指して
汚点のある遺産
汚点のある遺産 「タウクヴァルターの子孫は、何かが間違っていると感じている」
汚点のある遺産 「タウクヴァルターの子孫は、何かが間違っていると感じている」
マティアスさんとマッツォーネさんは登山訓練の中で、アルプス登山の先駆者でありながら世間から誤解されてきた先祖たち、そして有名な事故について、幾度も考えをめぐらせた。歴史的な初登頂の残した重荷が、二人の中で今も生きていることがわかる。彼らはそれぞれ別々の方法で、一族の汚された遺産を乗り越えようとしている。
マッツォーネさんが顧客と山にいるところを見れば、タウクヴァルター・シニアが事故の直前になぜロープを岩に結びつけたのかがわかる。先頭の仲間が滑落したのを目撃したシニアは、彼らを救おうととっさに7人をつないでいたロープの一部を岩にくくりつけたとされる。これは登山隊の安全を常に確保する、ガイドとしての本能だ。
ロープが偶然切れたために、事故の巻き添えになることなく祖先たちの命が助かったのだろう。事情はそうだったのだと、マッツォーネさんもマティアスさんも信じている。それではなぜタウクヴァルター父子は、スイスの象徴マッターホルンの初登頂を成し遂げて生還した国家的英雄として、スイスの子どもたちにその名を知られることがないのだろうか?これは一族と谷の住民の多くが問い続けている問題だ。
「タウクヴァルターの子孫は、何かが間違っていると感じている」。6月半ばのハイキング訓練でゴルナーグラートまで半ば登ったところで、マティアスさんはそう締めくくる。「ツェルマットの住民の多くも同じ意見だ」
初登頂から150周年となる今年、タウクヴァルターさんとマッツォーネさんはそれぞれマッターホルンを登ることにした。タウクヴァルターさんは事故現場を写真撮影するために。そしてマッツォーネさんは筆者をガイドするためにだ。
山頂に到達する
(John Heilprin/Carlo Pisani SWI swissinfo.ch)
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