序章
SICPA信頼の裏の謎多きビジネス
ヴォー州ピュリーアンリミトラスト・キャンパス
「信頼性ある経済を促進するテクノロジー・ソリューション」の発展を目指す、「アンリミトラスト・キャンパス(Unlimitrust campus)」だ。
ヴォー州と連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)の支援を受けるプロジェクトで、トレーサビリティー分野の研究・技術開発を促進する協力体制の構築を目的としている。
この「エコシステム」の生みの親が、20世紀初頭にこの地で誕生した家族経営企業「SICPA(シクパ)」だ。頭文字から成るこの社名は一般にはあまり知られていないが、世界中のほとんどの人は何らかの形で同社の主力製品に触れたことがあるはずだ。それはインクだ。
連邦検察庁は現在も捜査継続中であることを認めたが、詳細については明かさなかった。SICPAはブラジルで事業を継続するため、1億3500フラン(約201億1630万円)を支払って法的問題に決着をつけたが、スイス当局に対しては無実を主張し続けている。
フィリップ・アモン
乳牛から紙幣へ
乳牛から紙幣へ
モーリス・アモン
国境のない市場
国境のない市場
私たちは例外的にピュリーの本社取材を認められた。窓に囲まれ、「S」と「A」のつながった同社ロゴがついた黒い長方形の普通の建物だ。通常、ジャーナリストの取材は断られることが多く、許可が出るのは極めてまれだ。今回の対応は、「透明性」というSICPAが現在目指す企業イメージにも沿っている。
トーゴ何も明かさない模範生
汚職疑惑
汚職疑惑
SICPAはフィリピン財務相への提案の中で、この技術を導入すればたばこメーカーで横行する脱税を阻止できると主張した。密造で国庫が被る損失は1日100万ドルにも上っていた。ハンス・シュワブは、年間5千万ドルの5年間契約で脱税を食い止められると約束した。
マレーシア停滞
契約に署名したのは現地企業のリベラル・テクノロジー(Liberal Technology)で、SICPAはその下請けだった。米イリノイ大学と南アフリカのケープタウン大学の研究者が執筆した15年の報告書によれば、この契約は公開入札が行われることなく「不透明な」プロセスで結ばれた。あるたばこ業界関係者は、この現地企業がマレーシア政府関係者とつながりがあったと証言している。
採用の目的はSICPAが「おじと大統領府と良い関係を維持する」ためのサポートとされる。資料には、「その手数料の一部がホセ・ミゲル・アロヨ氏に渡ることは当時明らかだった」とある。
連邦検察庁は、SICPAトレース以外にもアロヨ家との合意があったとしている。3年後の09年にはフィリピン中央銀行へのインク供給という新たな契約が結ばれた。今度の「成功報酬」はさらに高額で、入手した資料によれば、年間300万ドルの支払いがインク供給期間の6~7年に渡って約束されていた。
大金が動いたブラジル
大金が動いたブラジル
07年にたばこ製品のトレーサビリティーでSICPAと契約を結んだのはブラジルだった。政府はこのトレーシングシステムを、さらにアルコールや清涼飲料課税に適用することも検討していた。大きなチャンスだった。飲料品分野の密輸や違法取引で、国の税収に何十億ドルもの損失が出ていた。03年の脱税はノンアルコール飲料で総売上高の30%、ビールで15%に上ると推定されていた。
個人コンサルタントとして雇われたフィンケルは、申し分のない経歴を持っていた。ブラジルで長年の職務経験があり、この国を熟知していた。SICPAの仕事と並行して、自身が経営するCFCコンサルティング・グループでコンサルタントとしても働いていた。
「オペラソン・ビシオ」
フィンケルは並みのコンサルタントではなかった。ブラジル検察庁によれば、CFCは政府高官関係者への賄賂を「手数料」と偽装せず、フィンケルに自由に交渉させ、彼自身からフィッシュにキックバックの振り込みをさせていた。自分の会社を通して行動したことで、フィンケルは甚大なリスクを負うことになる。
だがある関係者は、SICOBEの契約獲得に尽力した報酬としてSICPAが支払った多額の手数料から、同額が差し引かれたと述べた。捜査では手数料の額は明らかになっていない。
だが他の2人の裁判官はこの議論に耳を傾けることなく、フィッシュを無罪にした。収賄者がいなければ、贈賄者も存在しない。そのためフィンケルにも同様の無罪判決が下された。
SICPAは、「フィンケル氏とフィッシュ氏を贈収賄で無罪とした裁判所の判決を嬉しく思う。この判決は、元ブラジルコンサルタントの裁判における当社の起訴事由に、根拠がないことを示している。それは当社がこれまでにも主張してきたことだ」と述べた。
ブラジルの判決は、同社とその社長であるフィリップ・アモンを調査中のスイス連邦検察庁の捜査に影響を与える可能性がある。当初は14カ国での活動が捜査対象だったが、SICPAによれば、現在はコロンビアとブラジルを含む4カ国だけになっているという。この点について連邦検察庁はコメントを避けた。
スイスの捜査
スイスの捜査
14年末、スイス当局に米国司法省から捜査共助要請の「ドラフト」という奇妙な文書が届く。スイスに捜査協力を求める外国当局は通常、下書きではなく完成した要請書を直接送付してくる。後日さらに詳細な要請を追加することもある。だがこの時、米国司法省はそれ以上踏み込まず、SICPAの活動に関する情報をスイスに提供しただけだった。
2015年、最悪の年
だが連邦捜査員は、KBAの銀行データを精査する中でSICPAとの共通点を発見した。2社は、同じコンサルタントを使って数カ国で現地役人への賄賂交渉をしていた。
ブラジルとフィリピンに続き、スイスの捜査は新たにトーゴ、ガーナ、エジプト、インド、カザフスタン、コロンビア、ナイジェリア、パキスタン、セネガル、ベトナム、ベネズエラ、ウクライナの12カ国に拡大された。
20年9月、シュワブに関する捜査は終了し不起訴となった。だが連邦検察庁はその数カ月後に新たな爆弾を投下する。21年6月14日、経済犯罪専門オンラインメディアのGotham Cityに対し、捜査が「SICPAのオーナーで現CEOのフィリップ・アモン氏」に及んでいることを認めた。
SICPAとフィリップ・アモンに対する連邦検察庁の捜査は継続中だ。両者とも推定無罪の原則が適用される。
SICPAは今日、連邦捜査に「全面的に協力している」と断言する一方で、一切の責任を否定する。「当社は外部コンサルタントによる違法行為への関与も認識も否定する」とし、「捜査により当社および当社CEOに刑事責任がないことが立証されると確信している」と述べた。
swissinfo.chの取材に対し、シュワブはコメントを避けた。私たちが得た情報によれば、スイス検察庁がSICPA本社で押収した数千件のメールと文書からは、本稿で名を挙げた一部のコンサルタントへの支払いに、シュワブが反対していたことが示された。
一族の分裂
一族の分裂
ジェットセッターのパーティーではポーズを取り、グシュタードの巨大なシャレーでは何度も豪勢なレセプションを開いた。仏ビジネス誌のキャピタルによると、夫妻はこの狂乱の時期に5億~7億ユーロを使ったとも言われているが、それは全てSICPAの相続財産だった。
15年9月、モーリスはモナコで離婚を申請する。だがトレーシーも引き下がらなかった。モナコの法律が自分に不利になるとの危惧から、モナコの裁判管轄権に異議を唱え離婚訴訟を自分の住むニューヨークに移管させようとした。世界のマスコミはこのスキャンダラスなメロドラマを我先にと報道した。代々謙虚な家柄を守ってきたアモン家にとって、耐えがたいことだった。
デジタルの矛盾
デジタルの矛盾
SICPAはこの脅威に対応するため、これまでの章で見てきたように他業種への多角化を迫られた。まずはブラジル(07年)、カナダ(08年)、米国カリフォルニア州(20年)でたばこと飲料のトレーサビリティー契約を獲得。アフリカでもモロッコ(10年)、ケニア(13年)、ウガンダ(18年)、そしてトーゴ(20年)と契約を結んで躍進した。
17年にはエストニアの「デジタルガバメント」を提供する現地企業「ガードタイム(Guardtime)」と提携。SICPAは22年にジュラ州からデジタル公文書のセキュリティー管理を受注した。「セルタス(Certus)」と呼ばれるこの技術を使えば、市民が請求した法的文書の抜粋をQRコードで保護できる。
「高額紙幣では特に、看過できない量の買いだめが起きている」。この現象は「2000年代に入ってから、そして最近の金融・経済危機以降に著しくなった」と述べている。
豊かな国の人々はもはや、現金払いをしなくなった。それでも、タンス預金をしたい人もいるだろう。英誌エコノミストによると、高額紙幣の「買いだめ」の裏には、脱税やマネーロンダリング(資金洗浄)、麻薬取引などの犯罪経済が隠れている可能性がある。だがSICPAには理由など関係ない。紙幣が印刷されるたびに儲かり、印刷数が多ければ多いほど会社は繁栄するのだ。
終章
(敬称略)
製作
Credits
マルチメディア制作: Helen James & Carlo Pisani
編集: Dominique Soguel & Virginie Mangin
グラフィック: Kai Reusser
企画: Dominique Soguel
翻訳(英日): 由比かおり
画像: Yanick Folly (トーゴ), Pascal Staub (イラスト), drone footage (著作権), Reuters, SRG SSR / SWI swissinfo.ch, Keystone, swisscastles. chalamy.com, Getty Images, Sicpa, Wikimedia/commons, Agenzia, Fotogramma, Gotham City
英語原文はアンリミトラスト・キャンパスの目的を明確にし、会社が出願した特許の件数を明記するために2022年8月12日に更新されました。